『FANTASY CLUB』発売記念トークイヴェント:「ポスト・トゥルース時代のトーフビーツ(仮)」に行ってきた

http://post-truth-tofubeats.peatix.com/
『FANTASY CLUB』発売記念トークイヴェント:「ポスト・トゥルース時代のトーフビーツ(仮)」
に行ってきました。

普段は思っているだけで、書き残すことなんてないんだけど、トーフくんの行っていた「過去が全部残っていて、その過去の自分に誠実でいたい」というワードにハッとさせられたので残してみます。

中身としては、ポストトゥルースというこの言葉をどう捉えてそしてそう呼ばれている時代をどう捉えるか、という話から音楽論、仕事論、メディア論、広告論と色々と飛んで行きました。

トーフくんは今年27、僕は今年29ということでほぼほぼ同じ感覚を持っているので(いわゆるゆとり世代)だよねだよね、と頷くことばかり。

「俺たちのインターネットが、気づけば誰もが使うようになって、電通のインターネットになっていた」
「過去の自分を積み上げて行くことの楽しさがあり、何か未来の一地点に対してのルートを決めるとかそういうものはない」
「お金以外の価値、というものがより重要になっている。しかしそれを意識できる人とできない人の乖離が激しい。 意識できるかどうかは身もふたもないが"育ち"が大きく関わってくると思う」

の3つが特に印象に残ったもの。

「過去の自分を積み上げて行くことの楽しさがあり、何か未来の一地点に対してのルートを決めるとかそういうものはない」
に関しては、就活の時に「目的を決めて逆算思考で考えろ!」という面接官に真っ向から刃向かった記憶が蘇る。
好きなものをやっていくうちに、気づけば色々なことをできるようになっていた、というのが理想で何か自分の可能性を先に規定してしまうことの嫌悪感を感じる。これはインターネットによって様々な可能性を見れるようになったから、というのと10年後の世界が今と全く違うというのを実感しているからだと思う。(思うにこの10年はテクノロジーによてめちゃくちゃ世の中が変わった10年)
ここのことをもう少し質問できればよかったと少し後悔。

「俺たちのインターネットが、気づけば誰もが使うようになって、電通のインターネットになっていた」
に関してはかつてはコミュニティである程度文脈を意識して、理想郷のような世界だったのが"品"がない人たちが入って来て、何も楽しくなくなって来た、現実とリンクがされてしまったことで何も現実と変わらない、むしろ全てが可視化されることでより窮屈になったことへの嫌悪感。 今の学生はインターネットで救われたと感じることはあるのだろうか、僕たちにとってインターネットは全く別の世界への窓口だったけど、今は学校のみんなのプライベートを見る窓口になっているのではないだろうか。 HNの話とか通用するのだろうか。

「お金以外の価値、というものがより重要になっている。しかしそれを意識できる人とできない人の乖離が激しい。 意識できるかどうかは身もふたもないが"育ち"が大きく関わってくると思う」
最後のこれは、もはや救いようがないというかそんな世界をどうすればいいのか、ということに対して後天的な回答がない、という絶望的な話だ。 さくりと終わったがこの諦観の念を僕らはどう取り扱っていけばいいのか。 

久しぶりにトークイベント行きましたが、なかなか面白かったですよ、と。

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