台湾は"親日"という呪縛から逃れることはできるのか。 很台灣是什麼?


日本カルチャーを紹介する台湾のリトルプレス「秋刀魚」と台湾カルチャーを紹介する日本のリトルプレス「LIP」の両編集長のトークを聞いてきました。
http://peatix.com/event/152720

先々週は台湾の高雄(南部最大の都市)にいき、今週は台湾に帰る台湾人と台湾からきている台湾人と喋る、PechaKuchaNightTaipei,Tainanのオーガナイザーと知り合うなどなんだか台湾づいていますがいろいろと今日の話を聞いて先々週から思っているモヤモヤや今日の気づきを残しておきたくなったので筆をとりました。

・台湾には2度目、3度目に訪れる"体験"があるのか。
台湾人は最近だと何度も日本に来ているので、よりローカルな場所に訪れることが増えてきているとか。 黒部ダムの観光客の9割が台湾人だった、という話もあるらしい。
日本でも最近は3.11以降"台湾愛"が深まり旅行客も急増しているが、じゃあいわゆる夜市での食べ歩きやマッサージ、九份以外の見るところって台湾に何かあるのだろうか。 この前知り合いが鹽水蜂炮(台南で行われる有名な爆竹祭り)に参加していたが、その情報はどこで手に入れたのだろう。
日本語化されている台湾情報はどうもちょっと前のガイドブックに乗っているような情報しかない気がする。(もちろんそれも悪くはないんだけど一般的な情報にはもう飽きた) もっと洗練された情報というのを手に入れてみたい。 
ただ、台湾の素晴らしさは人にあると思うので綺麗な場所を提示された時に果たして本当に台湾の魅力を伝えることができるのか、とも思う。 なんかここら辺ビジネスにできないですかね(AirBnBがすでにあるけど。。)

・台湾らしさって何?
先々週高雄にいき、まちづくり的なことをしている台湾人とも話し彼らのアイデンティティを構築しようとする苦悩に触れてかつ本日の話を聞いて思ったこと。

台湾はもともと住んでいた原住民と中国大陸から来た漢人などで構成されている。 現在話されている言葉は北京語で、台湾名物の小籠包はご存知中華料理の一つ。 街中には日本のキャラクターが溢れ、日本語が普通に使われている。
つまり現在台湾で溢れているものは全ていわば外来のものなのだ。 もともとの土着の原住民は文字を残す文化がなかったのかかつての台湾は謎なのだ。

そこら辺の歴史関係の詳細は専門家に任せます。
台湾―四百年の歴史と展望 (中公新書)

今日も「秋刀魚」の陳編集長は「私たち台湾人の歴史は非常に短いので私たちの世代が歴史、アイデンティティを作る」と言っていた。 
2014年のひまわり学連の時にもわかるように台湾人の政治への関心は非常に高い(大衆化しているなどの批判もあるけど)のは日本人の民権運動時ともしかしたら近いのかもしれない。 何しろ民主化したのもつい最近の話であるのだし。 その時の日本人も自分たちが日本を作るときっと息巻いていたに違いない。

話は少しそれたが、つまり台湾には"台湾らしさ"を構成するものが外部のものを借りてでしか存在しえていない。
彼ら自身も"らしさ"を模索しているが、それはきっと時間のかかることだろう。
ここでタイトルの話になるのだけど、「台湾は親日」という言葉に関するモヤモヤもここにある。 もちろん多くの台湾人は日本が好きだ、日本にもよく来ている。でもそれは日本に限ったということではなくオープンマインドな人が多い国ということなのではないか、親日という日本ありきな言葉で表現してしまう危うさを思う。
親日、という言葉以外でいつか台湾を規定する人がたくさんでてくる日を僕は望んでいる。





コメント