二千円の愛の話、あるいは遠くまで届かせること

結婚式は友人の階層を定義する

「あなたは披露宴」「あなたは二次会」

二次会にさえ呼ばれない人もいる。

逆に言うと呼ばれる方もその人との関係を規定する、
「八千円払っても祝いたい」

祝うという行為が経済の奴隷になる感じがする。
でも、SNSで書き込むだけでは足りないなにか。

きっと二千円くらいで祝える愛というのを僕は求めているんだ。
今日は子供が生まれた友人にお茶をプレゼントした。
二千円程度の。

あげた時に僕は確かに満足を感じていたし、彼女もきっと喜んでいた。
そう、このぐらいでいいのだ。

2年前卒業式の日に数百円のお花を渡した後にあっていない彼女が子供を産み、オーストラリアに移住することになる。
そんな関係性の彼女にはきっとこの程度でいいんだ、もちろん多くのものを渡してもいいのかもしれない、でもやっぱ僕はそれは違う気がする。

三万円の披露宴、八千円の二次会、

値段が愛を規定するわけじゃないけど、
きっとそんな風でいいし、そんな関係性が心地いいと思ってしまうんです。

本当はこの後に遠くまで届かせるためにはどうすれば、なんて話を書きたかったけどここで終わらせた方が良さそうなので。




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