(備忘録)オランダの教会、無神論者の牧師処分せず。「神は私にとってある存在ではなく、人々の間で起こり得る言葉なのだ。」

自分のためにまるてん。
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オランダの教会、無神論者の牧師処分せず。「神は私にとってある存在ではなく、人々の間で起こり得る言葉なのだ。」

<物語の形式で表現>されている<神>は、そのような形で実態として存在するようなものではなく、
人間世界の中で起こるある事象を<象徴する・指し示すシンボル>である。

それを、<自由を最大限尊重する>オランダでは、認め始めている。

なお、オランダでは
・売春婦が公認である。有名な「飾り窓の女」
・ドラッグ・マリファナは個人で所持は合法である。
・自己尊厳のために、不治の病の人の自殺は合法である。自殺幇助にならない。

http://cjcskj.exblog.jp/8120673/
◎オランダの教会、無神論者の牧師処分せず

 【CJC=東京】ENI通信がオランダのプロテスタント紙『ネーデルランズ・ダグブラッド』3月24日付けによって報じるところでは、南部ジーランド州の教会当局は、無神論者だと公言しているクラアス・ヘンドリクセ牧師に懲戒処分を行わないことにした。

 懲戒手続きが「言葉の意味についての論議が長引き、それも明確にならないだろう」という。

各教会宛ての書簡では「神の存在」という問題は常に議論されて来たものだ、と指摘している。

 ヘンドリクセ氏は2007年11月に公刊した著書『存在しない神への信仰=無神論牧師の宣言』(仮訳)で関心の的となった。同氏は「神」を信じるために、神の存在を信じる必要はないと述べ、神が存在しないという信念が時を経るに従って強くなったかを詳しく記している。

 「神の不在は、私にとって障害ではなく、神を信じるための前提だ。私は無神論者で信仰者なのだ」として「神は私にとってある存在ではなく、人々の間で起こり得る言葉なのだ。たとえば誰かが『私はあなたを見捨てない』と言う。その時にこれらの言葉は真実となる。それを(関係性の)神と呼ぶことは全く正しい」と言う。

 ヘンドリクセ氏は、20年以上にわたってオランダ南西部ミッデルブルグと近郊の村の牧師を務めた。両教会とも2004年にルーテル派と改革派2派が連合して結成された『オランダ教会』(プロテスタント)に属している。同派は。また『自由プロテスタント協議会』にも加盟している。
 両教会はそれぞれ別の教区に所属しているので、懲戒処分各教区の問題となる。
 全国レベルの指導者は、教会法では現職の牧師への懲戒処分を開始出来ないとしていた。問題は教区レベルに委ねられる。ヘンドリクセ氏は、懲戒処分断念を歓迎している。□
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人生で影響を受けた言葉の一つ。
宗教って僕らが思っている以上に自由なものであって、

「夜と霧」に書いてあるように僕らを守る大事なものだと思います。
また、よみなおそうかな。

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