賽德克巴莱 セデックバレ をみて。感想

ついこの前まで台湾に旅行をしていました。
そして、日本統治時代に起きた原住民の抗日事件である霧社事件をあつかった「賽德克巴莱 セデックバレ」を見てきました。

この映画は日本統治と原住民の関係を描き、ひいては台湾における日本統治のことも関わっているため絶対に見るべきだと思い、2日間使って見てきました。


この映画、前後編あわせて2時間50分となかなかタフな映画でしたがかなり楽しめました。

僕の感想をひと言で言うと、「原住民と日本を同じカルチャーを持ったものとして描いた映画」と感じました。

第1部で、日本人調査隊がマルハ族の土地を調査するときに、地元の木を見て「桜だ。」というシーンがあります。
しかし、これはどう見ても桜というには色が濃く、決して桜とは言えません。
台湾の地元に生える木を日本の国樹である桜と重ね合わせることに1つ違和感を覚えました。

第2部では、霧社事件が起こりその後の日本軍による制圧が始まります。
その時に、部族の女子供は全員自殺を図るのです。
何十人もの人が首を吊っている絵というのはかなり衝撃的でした、同時にこの散り際の良さというのはひどく日本的なモノを感じました。
日本でも沖縄戦では敵に捕まるよりは自ら死を選ぶという悲劇が何度も発生してしまいました。
この映画の中のセデック族は戦争時の日本人(つまり、日本統治時代の日本人)の精神性にひどく近いモノを感じます。
映画の中でも最後に日本側の最高司令官である河原さぶ演じる鎌田弥彦が「セデック族が我々日本の武士道をもっていたというのか。」という言葉を言います。
僕は、この言葉を言うために魏德聖監督は映画を作っているのではないか、とも思いました。
この魏德聖監督は海角7号では日本人と台湾人の消えない絆(祖父のかつての恋文を頼りに日本人女性が台湾を訪れる物語)を描いたと思います。
今回は原住民の中にある日本を描いたと僕は考えました。
この監督は台湾の中にある日本を描こうと考えてるのではないかと思います。
それは現代であっても、過去の原住民だったとしても源流にあるモノは日本人と一緒でそこに眠る日本(というより日本人と同じモノ)をこの魏德聖監督は前作とあわせて描いてくれたと思います。


さて、ここで別視点からの感想。
これを反日映画とか抗日映画とかいう人がいますが、そんなことはないです。
これは1つの歴史ですから。
きちんといい日本人も悪い日本人もいるってのがいいですね。
木村祐一演じる佐塚警部は10数年住み、セデック族の妻もめとっているのに「所詮は蛮人」と蔑視をやめません。
一方、最近赴任してきた上司は佐塚警部のそのような言い方を諫め、セデック族に関して理解をしようとしています。
マルハ族の監督日本人である警察は粗暴で救いようのない人物ですが、マルハ族頭目モナ・ルーダオの敵対部族である頭目ティムアリスの
部族の小島警部はティムアリスからは友人と認められています。
まあ、いい人であっても悪い人であってもしっかり首を飛ばすというところがきちんとしてていいなぁ、とは思いました。
ヴェネチアでもいわれていましたが、残酷なシーンが少し多すぎるかなぁーと思いました。
首があんなに飛ぶ映画始めてみたかも知れません。キムにいも飛びます。

2部の主人公である壮年モナ・ルーダオはかなり、かっこいいですが素人で普段は牧師さんだとか・・・。牧師さんがあの殺気出すのかよ・・。

何はともあれ、軽い残酷シーンが苦手な人以外は見るべきじゃないでしょうか。
1つの歴史です、何が起きていたのかを知るためにも見るべきだと思います。

日本の公式サイトはなぜか公開数ヶ月前に閉鎖しているというのもなかなか悲しいことです。
日本に来ることはなさそうだから、友達に焼いてもらおうかなぁ、とか考えています。

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