第二の自分の故郷という考え方

「よく台湾にいくね」

そう言われるたびに何かしらの居心地の悪さを感じていた。

「彼女が台湾にいるの?」
「仕事?」

なんて言葉もよくかけられていた。
それこそ台湾人の友達からも「きすぎでしょ笑」と言われるほど。

もう留学していた時から7年。 初めて台湾に行ってから8年。
年齢はすでに30という数字が現実を帯びてきている。

いつも台湾に降り立つたびに、21歳のあのキラキラとした感情と、あの時に感じた何故ここにいるのか、という鬱屈した感情。 そしてそれを吹き飛ばす楽しかった日々を思い出す。
決められた時間の過ごし方なんてなく、自分で好きなことを好きな時間だけ行えた日々。
台湾で過ごした9ヶ月間は間違いなく自分を変えた。 今の自分の基礎となる、それこそ「自我」が芽生えた瞬間なのかもしれない。

「社交的」で「運命思考」で「ポジティブ」なんていう前述した、ストレングスファインダー内で定義できる強みは間違いなくここで育てられた。
ここでの日々は今でも詳細に思い出すことができる(それこそ、今回の旅行は昔住んでいたところや通っていた朝食屋さん、などを同行者に話しながら巡っていたので余計。 やはり話すことで自分は脳が活性化される)

同時期に台湾に留学していた友達は、その後台湾に行くことはほとんどない人がほとんど。 いたとしても相方が向こうにいるから、など。
過去の美しく、きらきらした宝石のような時間にまた迷い込むために戻っているのではないか、なんて自分でも思っているし、未だにどこかしらで思っているところはある。



「タツにとっては夢のような時間でも、僕らには現実の普通の時間だったよ」とは台湾人の友人に言われた言葉だ。
間違いない、日本人の僕にとっては物価が安く、中国語が喋れる日本人というだけでちやほやされるあの時はイージーモードだったと思っているが、そんなこと関係なく今も中良いみんなは仲良くしてくれたし、間違いなく国籍のことなど気にせずに中身を見て仲良くしていてくれていた(と信じたいが、まあ間違いないとも思っている)

3年前、4年前にそんな過去から抜け出せていない自分ってだっせーな、と思っていたがここ数年では特に意識することはなかった。
今回、友人たちを案内している中で「自分の地元の大阪でもこんな風に案内できないよ」と言われて腑に落ちた。
「そうか、ここは僕の地元なんだ」と。

最近大阪茶屋町をある人に案内された時の、あの人の役割を今僕がやっている、あの人を通じて大阪茶屋町を好きになったように、僕もこの台北という都市の魅力を伝える窓になっているんだと。(余談だがこの人も愛知出身なのだが、今は大阪茶屋町を非常に愛しているとのこと。)

新しい今の自分を産んでくれたこの都市を好きで、「里帰り」をしているんだ、と考えると全ての行動に正当化ができるようになった。 東京生まれの僕にとって、帰省する場所はあの場所なのかもしれない。 いつものように朝食を食べ、ぶらりと歩き、昔の友達と近況を話し、変わった光景に胸を痛め、変わらないものに安心をする、それはとても自然なことで。

僕の中にちょこんと鎮座しているこの気持ちはなんと表現して言えばいいのかわからない、愛という言葉は重すぎる、好きという言葉では正当化できない様々な感情。
僕があの場所に感じる思いはきっと色々な偶然(この偶然というか必然というか運命は本当に一言では語り尽くせない)でたどり着いたあの場所で、奇跡的に素晴らしい人々と出会い、自分をこういう人間に育ててくれた全ての瞬間に感謝をしているからなんだと思う。
第二の自分が生まれた場所に帰省することを恥ずかしいと思うことなどあるのだろうか。 これからも機会を見つけて戻ろう、そしてあの瞬間に感じていた思いを懐かしみながら素敵に歳をとっていこうではないか。 あの時、そしてそのあとも続いている時間を思いながら。

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